初采配で勝利、智弁和歌山監督は「満点」 高嶋仁の目

朝日新聞デジタル
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(8日、高校野球 智弁和歌山8―1米子東)


 ぼくが智弁和歌山で初めて夏の甲子園に来たのは第69回大会(1987年)ですが、ひとつ勝つまで6年かかりました。中谷仁監督は初采配で勝ったんですから満点。エースの池田陽佑(3年)もちゃんと抑えたし、言うことないですよ。

 ぼくの初戦4連敗は全部1点差でした。忘れられないのが92年の拓大紅陵(千葉)戦。試合前のシートノックの時に、ネット裏のお客さんに「また負けに来たんか」って言われ、3点リードを逆転されて帰るときに「やっぱり負けたな」。クソーッと頭にきましたが「ええこと言うなあ」とも思って、負けた試合を全部見直し、バッテリー中心に守りをやり直して、翌年初めて勝てたんです。この日も、ここ!っちゅうところで守れたことが、勝因になりましたね。


 六回、同点にされた後に失策が出て、1死一、二塁になった場面。米子東の4番岡本大翔君(2年)の強いゴロが三遊間深くに飛びましたが、遊撃手の西川晋太郎(3年)が良く反応して捕球しました。三塁のカバーが間に合わず内野安打になりましたけど、失点は防げた。なお1死満塁とされながら、池田と東妻純平(3年)のバッテリーが打者の内角を攻めて外角で勝負。ここで流れを切れたのがすべてでした。

 米子東は智弁のことをしっかり調べてきていて、配球や守備位置の工夫などによく頭を使っている印象を受けました。派手さはないけど、良いチームでしたね。(智弁和歌山・前監督)